冷戦 第03回 「マーシャルプラン」

(1998米)大戦後、ヨーロッパは疲弊し東西が分裂しており、

46年3月にチャーチルは「鉄のカーテン」演説をした。

西側としてギリシャ・トルコは支援しなければならなかったが、

イギリスは外国に支援する力は無く、アメリカに援助の役回りを頼むこととなった。

そして、1947年3月に「トルーマン・ドクトリン」となる。

パックス・ブリタニカ」の終焉と、「パックス・アメリカーナ」の到来を意味した。

これが、47年6月の「マーシャル・プラン」となる。

約102億ドルの89%が無償援助で、米国企業を支援する腹もあろうが、

現実に西ヨーロッパで必要とされ感謝もされる。

それが、東のコミンフォルムコメコンと対峙し、共産主義を抑えることで、

NATO陣営の基盤を支えた。

一方、48年のイタリア総選挙で共産主義に勝つために、

アメリカのイタリア系移民は故郷に「共産党には入れるな」という手紙を1000万通送った。

また、CIAが現金を片手に初の政治工作に乗り出す。現実の選挙活動資金の援助だった。

 バチカンでは、ピウス12世が共産主義者でもあるカトリック信徒を多数破門した。

そうして、キリスト教民主党が勝利した。

実に現実的な恐怖に対して現実的な手段を用いた闘いでした。

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https://www.youtube.com/watch?v=LjQzLseTG54