(2026日)
4歳で家督を継ぎ、10で父が他界するが病床の父の願いを聞き入れず宣教師を入れなかった。しかし13で洗礼を受ける。
龍造寺、大友、島津という大勢力に対して4万石の領国経営を考えた結果だった。
龍造寺との戦いに対して、島津に援軍を頼み数の上では劣勢だったが、大砲で対抗し勝利。大正解だった。
その後、小西行長と知り合い秀吉に下るが、浦上を取られたこともあり、関ケ原では東軍で参戦、行長の地を狙う。
彼は金銀比価を利用し富を増やしもする智者だったが、
幕府に伝授して欲しかったですね。
キリシタン大名としての有馬晴信 「いま甦る、キリシタン史の光と影。」 第5話



