(2017日)七五三太時代にブリッジマンの『連邦志略』 に影響を受けるが、
Elijah Coleman Bridgmanは、アメリカン・ボード宣教師だった。
で、ボストンへ向かうが、テイラー船長が紹介したのが、
船主のハーディーで、アメリカン・ボードの理事だった。
で、襄は養子同然となり名前を貰って帰って来る。
アンドーヴァー神学校時代に、森有礼と出会い岩倉使節団に随行。
正式にパスポートと留学許可証を貰って、晴れて帰国。
「新聞の父」となったジョセフ彦もそうですが、「偶然」とは思えない展開と
眩しいばかりの行動力で幕末明治を駆け抜けた人の話は面白いですね。
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新島の生涯 おおすじ
赤レンガ
ニューイングランド ボストン 直接取り寄せ
良心碑
学者ではない、著作はない
が、膨大な手紙
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•第3ステージ:「新島 襄」の時代 15年
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「新島 七五三太」の時代 1843~1864年
江戸安中藩邸21まで
19故郷 20倉敷 自由
『連邦志略』
大統領選挙を知り「脳がとろけ出そう」になるほど驚嘆。
『ロビンソン・クルーソー物語』
「冒険」
江戸期、聖書禁だが、断片が出回る 非公然
1864 1週間で函館留学1年
ハリストス正教会 ニコライ神父の協力x
ベルリン号(セイヴォリー船長)に乗船。
小袋と刀2 武士の魂 船賃と聖書
「ジョゼフ・ニイシマ」の時代 1865~1874年
テイラー船長 ジョー
ボストン到着 南北戦争後 ウツ
ハーディーとの出会い 中2英語
ハーディー宛の手紙 「ジョゼフ」に改称
フィリップス・アカデミー時代 理事
アーモスト大学時代 1867~1870年 3人の1
アンドーヴァー神学校時代 1870年~1874年 アメリカン・ボード
岩倉使節団 休学
Joseph Hardy Neesima 1874
ラットランド演説 5000ドルの献金を得る。億?
冷や冷や 意図的に空気を読まない
農夫の2ドル
「新島 襄」の時代1874~1890年
1875年11月29日(教師2名、生徒8名) 同志社英学校
長老派と会衆派の合同運動は批判