翔ぶが如く 第1部第3回 運命の女たち

(1990日)

島津斉彬が藩主として薩摩に戻った翌年、嘉永5年(1852)正月、

謹慎中の大久保宅を訪問する吉之助。

tobu1.jpg

大久保の妹、みね、きち、すま

tobu2.jpg

長崎のオランダ商館長から報告された"来年にペリーが来る”という「別段風説書」の内容を知った徳川斉昭水戸藩主)が老中阿部正弘を訪れた。

tobu3.jpg

祖父龍右衛門と俊(吉之助の最初の妻、父は伊集院兼善、)

祖父は孫の嫁に語った。

龍右衛門の兄が江戸藩邸で公金横領の疑いをかけられたが、

裁きの前に切腹した罪とのことで47石の扶持は名だけとなり無くなった。

加治屋町一の貧乏となったそうだ。

tobu4.jpg

NHKオンデマンド 翔ぶが如く 第1部第3回 運命の女たち

有村俊斎大山格之助

15名の江戸留学生が決まった。吉之助は願書を出さず、友人を見送った。

吉之助は、青年のリーダー、二才頭(にせがしら)も務めたので、

周囲は当然に有資格者と思い、上司にも願書未提出を叱られたが、

この年、祖父、父、母が相次いで他界し、吉之助の悲しみは深かった。

最後まで読んで頂きありがとうございます。

押して下さると、励みになります。お手数、誠に申し訳ございません。

クリック恐悦至極に御座います。

  ↓ ↓


人気ブログランキング