(2024日)
長保元年(999)11月7日、定子が皇子を産んだ日が彰子の女御宣下の日だった。
また、暮には倫子、まひろも女の子を出産する。
一条天皇への文を書いてもらい、行成が届けることとなった。
しかし、お怒りになられる。
笛を吹いてもらったが、顔を見ないことを問われ、
「笛は聞くもので、見るものではございませぬ。」と言う。
不憫に思った一条天皇が一帝二后を承知する。
行成に功があった訳ではないが、道長に感謝され黙って感激する。
女児が誕生したことを報告。直接には言わない。
高松殿で道長は倒れてしまう。
危篤だとの話も拡がったが、幸い回復する。
食欲のない定子にききょうは何とか栄養をつけさせようする。
長保2年の暮れとなり定子は姫皇子を出産。が自らは他界する。
夜もすがら 契りしことを 忘れずは 恋ひむ涙の 色ぞゆかしき
知る人も なき別れ路に 今はとて 心ぼそくも 急ぎたつかな
煙とも 雲ともならぬ 身なれども 草葉の露を それとながめよ
『栄花物語』では和歌三首を伊周と隆家が見つけたという。
伊周は涙し、左大臣への復讐を誓った。