BS歴史館 真珠湾への7日間 外交官たちの苦闘と誤算

(2011日)宣戦布告が遅れたのは米大使館がパーティーをしていたからだと昔、どこかで知った。で14部に分けて本省が電報を打ったことを何年か前に知り、唖然とした。 この番組でも解説する。 日本から送る文書は暗号化されてアメリカの電報局がキャッチし、 日本大使館と米政府に届けられる。 暗号が解読されているだろうと承知の上だったので、分割し14番目を米時間12月7日9:00に大使館員が確認、「13:00までに国務省に届けろ」という命令だったが、 翻訳しタイプライターで清書時間がかかり13:20頃に届けたが、真珠湾攻撃後だった。 ハル国務長官に軽蔑されて帰ってきて野村と来栖の両大使は、ハワイでの奇襲後だとはじめて知り納得した。 これまで野村は独断で、南部仏印の撤退と石油禁輸解除を伝えたが空振りしてもいた。 大臣の東郷が別案を指示しアメリカの不信を買いハルノートに至るが、 アメリカは開戦したかったので、野村のフライングであっても致命的な失態という状況でもなかった。 また、情報担当一等書記官だった寺崎英成は、11月26日にハルノートを受け取った後、 28日にメソジストの牧師に連絡しルーズベルト大統領から昭和天皇へ親書を出してくれるよう依頼。陸軍にバレたら殺される覚悟の工作だった。 12月6日に日本に届いたが、天皇に届けられたのは10時間も経って開戦20分前だった。 「情報」の取り扱いが昔も犯罪的にダメでした。
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