(2017日)おんな城主に育てられた井伊直政は三河軍団に入社した。
が、中途入社だっため、無理をした。
ハイリスクなことに躊躇しなかった。その軌跡を追う。
若くして文武が認められ、旧武田軍団をまとめることとなった。
武田の精鋭で知られる赤の甲冑が認められることとなり、嫉妬を買う。
1600年、会津の上杉攻めで北上中、西で石田三成が挙兵、関ヶ原に向かう。
秀忠勢は上田で真田に足止めされていた。
西軍の鶴翼の陣の中に布陣し、東軍の中では秀吉家臣だった福島正則が最大勢力で先鋒とされた。
ここで、直政が軍法違反承知で「抜け駆け」して先陣を切り戦端を開くが、
この判断が今回のメイン。
娘婿の家康四男忠吉を連れて西軍に突っ込み、
勝敗が決した後に、島津義弘の敵中突破を見逃さず戦い、負傷して戦を締めた。
こうして、譜代筆頭彦根35万石、10人の大老の内5人を井伊家から輩出することとなった。
私は15位の時に12時間ドラマ『花の生涯』の北大路欣也の井伊直弼で、
嫌味な感じに井伊が嫌いになりましたが、訂正させて頂きます。