おしん 52~54回 青春編

(1983日)

大正5年(1916)、16のおしんは、東京で髪結いの修行に入った。

下働きを率先し、先輩である12のりつを立てた。

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年末年始が書き入れ時だが、師匠は、おしんに"髪すき"をさせた。

通常3.4年の下働き期間を経てのことだったが、

おしんの場合、4か月程だったので、かなり見込んでのことだった。

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が、それに不満を抱いた先輩2人が、やめる、と言い出した。

師匠は、やめたいなら勝手にやめろ、と言い放ったが、

おしんは、自分のために店や人間関係が乱れるのを良しとせず、自分が去ると言い出す。

それで収まったが、師匠は、おしんに呆れ、以後、客の前に出そうとしなくなり、

おしんは2年間下働きをし続けることになる。

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18になり、山形の母から手紙があった。近所のりきの代筆だった。

前の奉公先の加賀屋の小夜が肺炎で亡くなったとのことだった。

加代の妹で、昔、おしんが子守をし実の姉のように慕ってくれた。

加代は行方不明でもあり、おしんは、いたたまれず加賀屋に行くことを師匠にお願いした。

師匠のたかは、許したが、戻ってくるように念押しする。

いくらか持たせてやり、また自分の着物を着せてやった。

大正7年(1918)だったが、洋髪が流行りはじめ、

たかは、戻ってきたおしんに、何かを伝えるつもりだったのでしょう。

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NHKオンデマンド おしん 52~54回 青春編

娘2人がいなくなった加賀屋は、悲しみにあった。

おしんは、戻ってくれるようお願いされるも、

着物が師匠を思い出させ、また、修復していない加代との関係、

加代と浩太のことを伏せたままであることもあり、戻れなかった。


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