(2019日)
大正12年(1923)9月1日11時58分、関東大震災が発生。
東京市長だった永田秀次郎に、大日本体育協会の会長の嘉納治五郎が
神宮競技場を使ってくれと訪ねた。嘉納は貴族院議員でもあった。
青年期の古今亭志ん生こと美濃部孝蔵は妻が身重の時に地震となった。
が、幸い家屋は無事だった。
しかし、こういう状況でも酒で家を空けるのに平気だった。
仕事とか関係なく、しゃべりまくった。
金栗は4年ぶりに実家に帰るが、義母に怒られ、
スグに東京に戻り、熊本から大量に届けられる米や野菜を
弟子と共に各地へ走り届けた。
増野シマの夫が赤子を抱き妻を探し続ける。
反対もあったが、復興運動会が盛大に行われた。
そこへ、シマが岡山でのテニスの試合で知り合った人見絹枝が訪ねてきた。
シマが手紙で陸上競技へ誘っていた。
夫は、妻の働きに感激した。妻の形見のような存在だった。
バレーやバスケを日本にもたらした大森兵蔵の妻の安仁子は
夫の死後も日本で生活した。セツルメント運動の施設を設立した。
小梅と飲み屋を営んでいたが、地震で凌雲閣が倒壊。
それでも清さんは自治会長として働いていた。
復興運動会の最後は、五輪出場者での競争となった。
そこへ突然、三島弥彦が乱入してきた。
走るつもりなら先に言っとけばいいのに、
どこまでも目立ちたい性格だった。