麒麟がくる, (2020日) の検索結果:
…た。 笑うところだった。 今までの俗説では、信長死亡の知らせを聞いた秀吉が泣き叫び、 官兵衛が秀吉に天下を狙う絶好の機会となったと伝え、 これを機に秀吉が官兵衛の智謀を恐れて距離を置き始めたと描かれていた。 6月2日、早暁、本能寺を囲む。 謀反が光秀だったことに喜び、 信長は「であれば、是非もなし」と笑った。 自ら派手な立ち回りを演じた。 最期、蘭丸に燃やし尽くすよう命じる。 NHKオンデマンド 麒麟がくる 3年後、駒は、町で光秀を見かける。 追いかけたが、見失ってしまった。
…らないで欲しいと頼んだ。 耳を立てていた蘭丸は信長に報告。 NHKオンデマンド 麒麟がくる 5月、光秀は饗応日当日に丹羽長秀に交代と命ぜられたが固く拒否。 饗応にこだわり家康との約束を守ろうとした。 光秀と家康との仲に不快になった信長は膳にケチをつけた。 慌てた光秀は信長のお召し物を汁で汚してしまう。 第3回パワハラ事件となった。 蘭丸がここぞとばかりに偉そうに責めるが、光秀は軽く振り払う。 夢での信長を殺すシーンを思い出す。 平に謝るべきだったが、アドレナリンが分泌された。
…目の暴行事件となった。 永禄13年(1570)の金ケ崎撤退を進言して蹴られて以来だった。 帰宅すると駒が来てくれていた。 義昭から手紙があり、光秀が鯛を釣ったことが口惜しかったが、何故か嬉しかった、 嬉しかったと繰り返した、と言う。 麒麟が来るとしたら光秀が呼んでこれるかもしれないと駒に伝えたようだ。 NHKオンデマンド 麒麟がくる 信長に対し、正親町天皇も義昭も憂え、自分に心を寄せ期待してくれた。 光秀は感激するも、信長による平和は不幸なことだと悟ることになったのでしょう。
…った。 大納言三条西実澄は、信長に悩まされていた。 天正6年(1578年)4月に右大臣兼右近衛大将を辞したが、 愚弄なのか真意を測りかねていた。 その晩、三条西に連れられ、御所に参内。月夜を楽しむものと思われた。 NHKオンデマンド 麒麟がくる (41)「月にのぼる者」 が、正親町天皇は、月に上がった者を多く見てきたが、下界に戻ってきた者はいなかったと、語る。 最後に、「この後、信長が道を間違えぬようしかと見届けよ」 と命じた。 むろん、「道を間違えた時は、任せる」 だった。
…えたということなのでしょう。 「平蜘蛛」は、信長と光秀の関係を割く爆弾だったのやもしれません。 NHKオンデマンド 麒麟がくる (40)「松永久秀の平蜘蛛(ひらぐも)」 太夫が語った久秀の遺言は、 これほどの名物を持つ者は持つだけの覚悟が必要で、 誇りを失わぬよう、心美しくあれ、と残したと言う。 火薬を詰め自爆したとの説もあるが、 たまの細川忠興への嫁入りの際に移った可能性も否定できない。 要らぬ負の感情を受けたくもないので公開してないだけやもしれず、 誰かが笑っていそうだ。
…が拾う演出も、もうすぐ死ぬぞ感が出て心憎い。 信長が光秀宅に来て、大和守を筒井順慶にすると光秀の反対を押し切る。 (正室築山殿、家康) 嫡男信康の正室に信長の娘徳姫を迎えていた。 この日、女児が誕生する。信長と家康の孫だった。 が、後に、築山殿と信康は徳姫の手紙で信長に死を与えられる。 NHKオンデマンド 麒麟がくる (39)「本願寺を叩け」 天正4年(1576)、煕子は駒の呼んだ一座の芸を楽しみ、その夜他界した。 サブタイトル「本願寺を叩け」は「煕子の死」の間違いでしょう。
…れた恩と情に光秀は感動する。 丹波黒井城の赤井直正は前関白近衛前久の義兄であり、 現関白二条の捕縛から前久を匿っていた。 丹波攻略の命を受けた光秀は会いに行き、事前調査を開始した。 平和的に丹波を支配下に置きたかった光秀だったが、 京と隣接する丹波は腐れ縁の吹き溜まりで、 信長なぞに降る気はさらさらなく戦しかないとのことだった。 NHKオンデマンド 麒麟がくる (38)「丹波攻略命令」 天正3年(1575)夏、丹波侵攻となる。 斎藤利三はまだ、軍議には参加できないようだった。
…ンになることにした。 「東大寺」が「蘭奢待」に隠れている名香だった。 増長して裏目となること、帝の不興も想定したのでしょう。 東大寺正倉院。110年ぶりだった。 3代将軍の義満、6代義教、8代義政が切り取っており、 信長も肩を並べたとご満悦となる。 NHKオンデマンド 麒麟がくる (37)「信長公と蘭奢待(らんじゃたい)」 切り取った蘭奢待を帝に献上した。 信長は、帝は喜んでくださる、と口にはしたが、 むろん、帝はお喜びにはならず、毛利輝元にやることにした。 暗闘が始まった。
…とを書いていて義昭はキレた。信長と訣別することに決めた。 宮中参内を怠っているから義輝が不幸な最期となった。 諸国から馬を献上させている。 褒美が偏っている。 また、駒と交際中にもかかわらず、 寝所に男を呼んで、褒美ではなく代官職までやっている。 など、事細かに書き記していたようだ。 NHKオンデマンド 麒麟がくる (36)「訣(けつ)別」 光秀は、義昭方につくよう迫られたが、 できないと断り、出て行った。 義昭は、光秀は鳥だとし、また戻ってくるやもしれないと、 自由にした。
…べ始めた。 伊呂波太夫と三条西実澄へ向かった。 地獄耳の正親町天皇は三条西実澄に光秀を連れて来るよう命じた。 NHKオンデマンド 麒麟がくる (35)「義昭、まよいの中で」 御所へ参内することになり、三条西実澄宅で着替えた。 伊呂波太夫とすれば、15年前弘治2年(1556)の「長良川の戦い」で、 美濃の斎藤道三が息子義龍に殺され、光秀が美濃を逃れ越前へ向かうのを助けてやり、 朝倉義景の援助を断って貧乏生活していた阿呆の姿に笑うしかなかった。 駒と伊呂波太夫、様様の人生だった。
…を討つつもりだったからだった。 義昭ではなく帝との関係で考えていた。 比叡山焼き討ちを帝に報告し、褒めて頂いたとご満悦だった。 正親町天皇としては、天台座主である弟の覚恕の脅威を減らしてくれた信長が、 褒めて欲しそうだったので褒めたと東庵に語る。 覚恕は甲斐の躑躅ヶ崎館へ逃れ、愚痴った。 NHKオンデマンド 麒麟がくる (34)「焼討ちの代償」 信玄の四女松姫と信長の嫡男信忠との婚約が成立していたとされる。 武田家としても、もはや織田家との関係は深刻に見直さざるを得なかった。
…包囲網義昭黒幕説を『麒麟がくる』では採用しなかった。 「永禄の変」で兄義輝と実母を殺した三好三人衆に働きかけて信長に向かわせるのは考えにくい。摂津晴門も嫡子を失っていた。 比叡山に入った光秀は朝倉義景と再会。 天台座主の覚恕のお目通りがかなった。 正親町天皇とは異母兄弟で11で比叡山に入った。 容姿で入れられたと負の感情が堆積し、恨みやっかみで 権益を増やし正親町天皇に頭を下げさせることを目的としたが、 信長が奪いだしたとした。 11月、弟の織田信興が長島一向一揆勢に敗れた。…
…方が陣を構える。 8月20日、信長は岐阜城を立った。 総大将は義昭だった。摂津海老江城で鼓舞する。 三好三人衆が信長に和議を申し入れたが拒否された日。 大坂本願寺が鐘を鳴らし、9月12日挙兵 顕如が浅井に手紙を出す。かつては本願寺と朝倉は対立していた。 同日に、浅井、朝倉、六角父子も挙兵。 NHKオンデマンド 麒麟がくる (32)「反撃の二百挺(ちょう)」 朝倉義景は比叡山延暦寺へ挨拶に行った。 公称5万の僧兵を味方にし、信長を潰すことを考えた。 もちろん手ぶらではなかった。
… その功績を公平に知らしめてくれた光秀様様だったことを秀吉は無かったことにしたようだ。 NHKオンデマンド 麒麟がくる (31)「逃げよ信長」 二条城で第15代将軍足利義昭は、信長の敗退を知った。 信長との関係は悪く、前年永禄12年1月に「殿中御掟9か条」で制限され、 更に今年1月に「5箇条」が追加されていた。 義昭にとっては、もはや信長は父でも兄でもなかった。 本気で室町幕府の再興を考えるにせよ信長の意思と衝突するのは必然であり、 父や兄なぞ、はじめから幻想に過ぎなかった。
…下の者からだった。 三淵の奸計とのことだったが、口だけの示唆で成功させたのではなく、 自ら準備し他人に知られ、頭上がらなくなっていた。 三淵はやむを得なかったこととし居直った。 NHKオンデマンド 麒麟がくる (30)「朝倉義景を討て」 永禄13年(1570)4月、信長は妙覚寺で出陣式を行い、朝倉攻めとなる。 最前列左より、光秀、柴田勝家だが、 182㎝の木下藤吉郎はやや後方のド真ん中でしょう。 天正10年(1582)6月2日では、この妙覚寺には奇妙丸こと信忠が宿泊していた。
…い詰める。 武力を背景に5年10年と調査を先延ばしにして、他人の所有物を転がしていたようだ。 御所では、門の修理なぞなされていなかった。 放置されていた。 2か月余りで二条城の完成。織田信長の力を見せつけた。 妹お市を嫁がせていた北近江の浅井長政も協力していた。 NHKオンデマンド 麒麟がくる (29)「摂津晴門の計略」 信長は岐阜へ帰ることとなる。 光秀も岐阜へ行き越前の朝倉に関する意見を述べることになっていた。 まさか、浅井が朝倉につくとは、さすがに誰も考えないでしょう。
…ねなかった。 約120㎞を駆け抜け8日には着いたようだ。 そして、直接連絡してこなかった摂津晴門を怒鳴りつけ責任有りとし、 村井貞勝を当たらせることにした。 NHKオンデマンド 麒麟がくる (28)「新しき幕府」 二条城を作り始めた。堅牢な将軍御座所とするためだった。 14か国から資材人員を調達した。 信長は使えるなら石仏であろうが関係なかった。 神仏習合の世で仏罰なぞ無いと割り切って使える合理と神経を持っていた。 ここが光秀の反信長感情の芽生えか、一抹の不安かと描写される。
…させない約束を、武装せず入京することで証としてほしいと、今井宗久はのたまう。 この日を『その時歴史が動いた』で駒が歴史を動かした日として放送してほしい。 美濃に帰った光秀は、報告する。 柴田勝家、佐久間信盛、稲葉一鉄ら諸将は激怒。 商人ふぜいが、ということもあった。 NHKオンデマンド 麒麟がくる (27)「宗久の約束」 永禄11年(1568)9月12日、三好の協力が弱くなった六角の箕作城が落城。 同月26日、足利義昭を奉じて入京した。 義昭は清水寺、信長は東寺に陣を構えた。
…NHKオンデマンド 麒麟がくる (26)「三淵の奸(かん)計」 永禄11年(1568)7月、足利義昭は越前を出て美濃に向かう。 別行動で、従弟の左馬助と煕子、岸、たまも、美濃の明智荘に向かった。 阿君丸の死は、義景の上洛を潰した。 それが三淵の奸計とするなら、密談の席で、 「喪ならば、義景様の恥ではないが・・・」 とまでは言えても、さすがに人物の指定はできない。 なら、盛り付け役に指示して実行させたのは、景鏡ではなく、家老となる。 乳母説もあるようだが、上洛による三好との戦争…
…った。 この状況から少年を呼び出し、怒りを顕した。 確かに、母が病だと偽ってタダで手に入れた薬を売るのは商売として正しくはなかった。が、薬が商品としてお金が上手く流れて、双方とも助かっており、 生きていく手段としては正しかった。 NHKオンデマンド 麒麟がくる (25)「羽運ぶ蟻(あり)」 永禄11年(1568)2月、義昭の従弟にあたる阿波育ちの足利義栄が第14代将軍となった。 三好3人衆に推され朝廷と折衝を続け摂津で宣下となった。 京都入りできなかった唯一の足利将軍だった。
…足で脱出するという後先考えない人間だった。 さすがに、三淵藤英も覚慶に疑問を抱くが、支えるしかないことを藤孝は語る。 光秀には、朝倉義景の上洛を頼んだ。 が、光秀は、朝倉義景に覚慶を否定的に語った。 NHKオンデマンド 麒麟がくる (24)「将軍の器」 関白、近衛前久は天皇に次期将軍は三好三人衆の推す足利義栄を推挙した。 覚慶の従弟にあたり四国に住んでいた、 前久は伊呂波大夫の言を入れ、三好に脅された形だったが、 武家の争いから離れて殺し合いを眺めればいいとの腹だったようだ。
…てきた。 前金から2割を引いて望月東庵が受け取った。 越前に帰った光秀だった。 家族は朝倉義景が支えてくれていた。 どうにか無事に、永禄7年を終えようとしていた。 NHKオンデマンド 麒麟がくる (23)「義輝、夏の終わりに」 が、翌、永禄8年(1565)5月、久秀の息子の久通、長慶を継いだ甥の義継、 三好三人衆が、1万の軍勢を率い、二条御所を襲った。 後に将軍となる足利義昭は覚慶という僧だったが、 政治の舞台に登場することになるのは時間の問題、という覚悟はあったのでしょう。
…。 そのころ、坊主が村で施しをしていたので後を付けた駒だったが、 後の足利義昭だった。次々と知り合いになる強運の持ち主だった。 京で能を観た後、義輝は光秀に暗殺計画が愚であったと正直に語った。 誰も上洛に応じないことを嘆いた。 光秀は、尾張の織田信長を上洛させると義輝を元気づけた。 NHKオンデマンド 麒麟がくる (22)「京よりの使者」 永禄7年(1564)7月4日、河内、飯盛山城にて三好長慶が永眠した。 次々に弟や息子が死に、衰弱していた。 時代が、義輝に移るかに思えた。
…信盛がやたら目立つがセリフは一言もなかった。 今回は溜め、次回あたりで一気にまくしたてるのやもしれません。 桶狭間にて、朝比奈親徳が奮闘。 が、毛利新介が討ち取る。 NHKオンデマンド 麒麟がくる (21)「決戦!桶狭間」 駿河にいた駒は東庵と京に帰ることにしたが、 何でも効く薬を作っている芳仁から作り方を伝授される。 駒は家康から手紙を貰ったり、秀吉に文字を教えたりと、 今後の成長と展開が全く読めない。 既に固まっている歴史の中に架空の人物を入れないと面白くないのでしょう。
…していたそうだ。 『麒麟がくる』では好青年の義輝だったが、 久秀に覆されるほどのお粗末だったのでしょう。 久秀の知恵が凄まじいものであっても、 久秀の預かり知らないところで不都合なことが起こりまくっている。 実像は真面目な方でした。 歴史秘話ヒストリア 「戦国最強のナンバー2 天下を動かした男 松永久秀」 ----memo 将軍の裁判のやり直し 最後の強敵 大和の宗教勢力 多聞城 興福寺 東大寺の側 大和平定 長慶亡き後 義継を将軍につけようと画策 が、義継は義輝を殺害してし…
…い人間だと答える。 将棋で圧勝していたので本心だったのやもしれない。 光秀から手紙を貰った帰蝶は信長と共に尾張方となった水野家を訪ね、 元康の母と叔父に元康を味方に引き入れるよう説得する。 三河に野心を持たないことを聞かれ、もちろん約束する。 菊丸は預かった手紙を元康に渡し、尾張攻めの先陣となった元康に覚悟を迫まる。 NHKオンデマンド 麒麟がくる (20)「家康への文」 覚えていない母だったが手紙を貰い、義元との関係を断つことを考えると 冷静を保つことはさすがに難しかった。
…に知らされ、 光秀は松永久秀に頼み、義龍の計画を止める。 義龍は、光秀を呼び出すも、疲れており、光秀に戻るよう求めた。 信長も上洛し、将軍に謁見し、駿河の今川の野心を止めてくれるようお願いするが、 義輝は、官位と役職で対応した。 NHKオンデマンド 麒麟がくる (19)「信長を暗殺せよ」 失望した信長は尾張への帰国の前に松永久秀に挨拶に出向き、 摂津と尾張を替えてくれと頼んだ。 三好長慶の全盛期が、ここから長く続かず、久秀も信長に殺されることになるというのも、 儚いものです。
…長の耳に入った。 信長が困っているところへ、帰蝶が会って顔を見てから考えたらよいと、 提案する。むろん、場合によれば殺せばいいとは口にしない。 信長の病気見舞いに信勝がやってきた。 万病に効く湧き水を持参してきた。 信長は母の愛情が信勝に注がれていることを正直に語り、 信勝は信長の活躍が妬ましかったことを話した。 NHKオンデマンド 麒麟がくる (18)「越前へ」 兄弟の和解の機会でもあったが、 信長に飲めと言われた持参した水を信勝は口にすることができなかった。 愚かだった。
…し味方に来るよう誘った義龍だったが、 光秀は生理的に受け付けなかったようだ。むろん殺されることを意味した。 死を覚悟するも、叔父の光安は明智家の家督を光秀に譲り、逃げるよう命じた。 そして城を持つ身となり左馬助を頼むと託した。 藤田伝五たちが挨拶に来た。 再び明智の地となるまで田畑を守り抜くとした。 NHKオンデマンド 麒麟がくる (17)「長良川の対決」 26年後に「本能寺」で光秀と共にする者たちが登場する。 作品としては魅入りますが、悲しいドラマでテンション低くなります。
…られ、人質となっていた家康も知っていた。 そこへ薬売りになっていた菊丸が出入りし手足となっていたようだ。 光秀から帰蝶の様子を聞いた義龍は、家臣に国替えを命じるつもりだった。 光秀も求めらたが、国境にあって野盗に悩まされていた土地だったので、 ありがたいはずだったが、母が長年暮らした地でもあり消極的だった。 NHKオンデマンド 麒麟がくる (16)「大きな国」 光秀は道三を止めようとしたが、道三の決意は固かった。 「信長は面白い」とし、誰も手出しできない国にしてくれと頼んだ。