霊的喜び

茶蔵の開いていない状態で、他者の幸せを自分の幸せと重ねることができるのだろうか。

最近でこそ、私は穏やかになった。目をつむっても「光」を感じる。(気持ち悪い表現なのだが)

これは某カルトの連中も同じことをいっているので、同一視されるのはゴメンなのだが、、。

その「光」を失うこと、私の身体に感ずるムズムズ感を失うのが、なんとも怖い。

「霊的喜び」ってたぶんこのことだろ?