(1998日)
嘉永6年(1853)6月3日に浦賀の黒船来航。22日に家慶が他界。
が、将軍の死は隠されたまま次期将軍を誰にするか,となった。
一橋慶喜は家定に謁見する。
黒船の件、次期将軍の件と、意見を交わす。
水戸ご老公、徳川斉昭の力を借りることにする。
(藤田東湖 戸田忠敬 安島帯刀)
斉昭は海防参与となり、ペリー再来航に備えることとなる。
東湖と戸田は海防掛、安島は海防参与秘書となる。
安島は戸田の実弟。
その頃、15歳の慶喜は立場を隠し昼間から飲んでいた。
一橋家屋敷に父の斉昭が訪れる。
立派に成長したかに見えた息子に喜んだが、
「将軍になりたくない」とのことに、
「この難局の時期にお前の気持ちなど関係ない」とのことだった。
10月23日、家定は第13代征夷大将軍となる。
7月17日に江戸湾を去った艦隊だったが、琉球へ行き、貯炭所と産物取引所を作らせた。
南シナ海を巡り、12月16日に香港を出航し、琉球を経て日本に向かっていた。
情報が限定されている中だが、慶喜は将軍になりたいと思わなかったのは、
この時点で最後の将軍の可能性も考えたのでしょう。
無条件で引き受ける時代ではなくなっていた。
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