(1983日)
昭和19年(1944)7月7日にサイパン島が陥落したと新聞で知った。
本土空襲の拠点となることを意味した。
隣組の娘さんの体調が悪く、卵、とろろ芋、鶏肉をお見舞いとして持って行ったが、
軍の仕事で横流しした物を頂きたくないとキッパリと断られた。
陸軍中佐となった竜三の次兄の亀次郎がやってきた。
おしんが、雄の現在が知りたく手紙を書いたが、手紙やハガキを避け、
口頭で知らせるためだった。
南方へ向かっているとのことだった。
本土決戦の覚悟を示唆される。
9歳の禎(てい)を片道3時間ほどの知り合いの農家に預けた。
空襲の心配のない場所だった。充分な食糧・石鹸なども忘れなかった。
仁が少年航空兵に志願すると言い出した。
神風特攻隊の散華に、自分も続こうとした。
おしんは、猛反対した。口論になりビンタもくらわせた。
が、空振りだった。
竜三は、自分が町の少年に勧めているのに息子に反対した。
両親はすぐに忘れてくれるものと思っていたが、
仁は家出同然に勝手に出ていき志願した。
立派ではあったが、家から生活費をくすねて出て行った。
しばらくすると禎が一人で戻ってきた。
ロクに食べさせてもらえず、風呂にも入ってなく、シラミだらけだった。
充分に置いてきたのにこの扱いは、さすがにドラマであり、酷すぎでしょう。
それでも、竜三は空襲が心配で翌日に禎を行かせた。
昭和20年7月となる。
東京では3月に大空襲があり100万以上の罹災者だった。
米軍は伊勢にも攻撃してきた。
家が火の粉により燃え始めた。
竜三に逃げろと言われるが、おしんは消火にかかる。
雄、仁、禎が戻ってきた時に迎えるためだった。