おしん 216~218回 太平洋戦争編

(1983日)

昭和20年(1945)7月、空襲での飛び火で燃えていた家を懸命に消化した。

雄や仁が帰ってきて迎えるためだった。

が、その日、雄の死が知らされた。

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紙切れ一枚で招集し、紙切れ一枚で報告してきた。

おしんは受け入れることができなかった。

泣く初子に、生きているから帰ってくるまで待っとこうと言う。

残酷だったが、おしんが信じて雄の服を繕う姿に初子は涙するしかなかった。

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広島と長崎で原爆があったことを知るも、具体的には分からなかった。

8月15日正午、ラジオの前で正座する。

その日、少年航空兵に志願した仁から出撃の日だと最期の手紙が届いた。

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連隊に魚と衣料品を納める工場まで営んだが、工場も雄も仁も失った。

竜三はおしんにこれまでの全てに感謝した。

翌16日の朝、軍の関係者に挨拶に行くと出かけた。

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竜三は、途中で禎(てい)と再会した。

もう空襲は無いとのことで帰る途中だった。

しかし、竜三は、米軍の駐留があるので疎開先に戻ること、

また、母さんを大切にしなさいと娘に語った。

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NHKオンデマンド おしん 216~218回 太平洋戦争編

数日後、役場の人が訪ねてきた。

竜三が短刀で心臓を一突きし、立派な最期だと教えてくれた。

竜三からの手紙も届き、町の少年にも志願を促し死に至らしめた責任感もあった。

残された者たちへ立派に自決したと誇りを持ち続けて欲しかったのでしょう。