(1983日)
昭和20年(1945)9月頃、家の前所有者が外国から帰ってきた。
引っ越し先が見つかるまで端の部屋に置いてもらう立場となった。
嫌がらせのように大音量でジャズを聞く。
おしんと初子は物資の売買をするヤミ屋で生計を立てた。
駅は騒々しかった。
他のヤミ屋は逃げたが、おしんは怖いもの無しだった。
が、統制物資を売買することが違法とのことで、
いくら正論を言おうが警察にとっては他人事であり署に連行される。
おしんは山形へ1000円程借りに行った。
農地改革で土地を買うことと長男の家の新築で拒否される。
これまでしてきたことを恩としてカウントされてなかった。
伊勢に戻ったおしんは初子とかつぎ屋を続けた。
川村が訪ねてきた。3日前に帰国し直ぐに来てくれた。
が、雄がルソンでマラリアにかかり餓死したとの知らせだった。
米兵に捕まる直前にノートを託された。
ノートには思い出と母への感謝、初子には忘れて欲しいとのことだった。
おしんは初子に手伝わせて時を過ごさせてはならないと思い、
山形へ帰ることを考えさせた。
すると、翌朝、置手紙で姿を消された。
ひさが東京から伊勢へ戻ってきた。漁の再開が期待できたからだった。
竜三と雄の死を悲しんでくれ、ひさ宅に引っ越しすることになった。
その日、初子から為替が届いた。東京からだった。
浩太がひさを訪ねてきたので再会する。
青年期を小作の立場で運動してきた浩太だったが、
GHQによって簡単に実行され、何だったのかと語る。
竜三が立派に自決し、転向して生きることを自嘲するが、
生き残った者が一番辛く、それぞれが再出発を決意するしかなかった。
昭和21年の夏、おしん46歳の再出発だった。