おしん 265~267回 完結編

(1983日)

昭和31年(1956)春、崎田辰則は禎のプロポーズを断った晩、

仕事を辞めると言い出した。

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辰則にすれば、おしんが禎を大学に行かせたいという気持ちとの板挟みでもあった。

が、禎が心境を正直に語り、おしんは快く許した。

辰則は「こんな私が…」と言ったが、仁と同じように中学を4年で終えて予科練に志願したのでしょう。

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道子が妊娠3か月で田倉へ戻ってきたが、また実家に転がり込んだ。

おしんの「初子はお手伝いではない」が効き、

父の仙造は謝罪ついでに、初子の縁談話をもってきた。

年が離れていたが、察した初子は前向きに考えることを仙造に伝える。

しかし、おしんは涙で初子を平手打ちにし、「堂々と田倉家に居なさい」

「初子は雄が愛した人なのだから」と語る。

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秋になり、無事、男の子が生まれた。

おしんは、竜三の「竜」を使って欲しかったが、仙造が剛(たけし)とつけ、

ムカついたおしんお七夜に出なかった。

しばらくして田倉に戻った母子だったが、仁は赤ちゃんを道子以外に触らせないことにした。

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仁、希望、禎が落ち着いたが、おしんは初子のことを考えていた。

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NHKオンデマンド おしん 265~267回 完結編

翌、昭和32年、2月に辰徳と禎の式、春にスーパー田倉の1周年を終え、

竜三と雄の13回忌、川村の追悼を行った。

希望は百合を来させなかった。

おしん57歳、一つの区切りとなったが、

商売のことは考えても、老後や終活を考える気なぞ無かった。