(2020日)
天文19年(1550)8月に今川が動いた戦は、光秀が将軍足利義輝に働きかけ、
和睦となった。
刈谷城が失われた。
家康の母の実家である水野の城だった。
信秀は居城を転々とし末盛城に落ち着いていたが、
信長を那古野城に残し、弟信勝に末盛城を与えることにした。
信長は家督の継承に不安となる。
帰蝶は病床の信秀に信長のことを聞きに行った。
「信長をよろしく頼む」としか聞こえなかったはずだった。
が、帰蝶は信長に、信秀は信長に昔の自分を見ているようで可愛く、
家督は信長に任せる、と言ったと口にし、信長を満足させた。
帰蝶は信秀の双六相手の望月東庵を京から呼んだ。
美濃では、守護の土岐頼芸が道三に鷹をプレゼントしたが、
爪先に毒を塗った暗殺計画だった。
この頃、光秀は煕子と結婚した。
天文21年3月、東庵が到着した日、眠りについた。41年の生涯だった。