小和田哲男 豊臣政権に学ぶ「リーダーと補佐役」の関係

(2020日)

小和田哲男

静岡大学名誉教授/文学博士

インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)

(1)話し上手な天下人

(2)弟・秀長の役割

(3)組織のバランスが崩れる日

(4)豊臣秀吉徳川家康の差

(5)リーダーの役割

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10mTV 小和田哲男 豊臣政権に学ぶ「リーダーと補佐役」の関係

弟の秀長が3つ下で秀吉に何でも言えたが、三成にしろ他は言えなかった。

よって、天正19年(1591)の死を機に秀吉の暴走を止める人がいなくなる。

甥の秀次や千利休に死を与えたり、朝鮮出兵にも至る。

リーダーとしては、補佐役の予備を育てることも大事だった。

今川義元太原雪斎だけだったが、その点、家康は江戸で秀忠に本田正信をつけて、自分は駿府で正信の息子の正純を教育するということにした。

若い頃の秀吉は良かったが、晩年は聞く耳を持たなかったことで自滅したということだった。