(2022日)
しばらくは家康は信長と戦っていたが、今川からの助けが心もとなく、
清洲同盟に至る。
飢饉もあり、兵糧の調達に本願寺から奪ったことで三河一向一揆となったという。
当時の本願寺は世俗権力から警察権と課税の不介入の約束を交わしており、
起こるべくして起こった一揆だったが、家臣にも門徒が少なくなかったという。
そこで家康は一旦は許すことにし一揆を解散させ、家臣だった者たちも国外へ去ったのを待った上で、寺を潰しにかかったという。
卑怯なやり方ではあるが双方に血を流さずに支配地域としたようだ。
20歳でやってのけた老獪な男だった。