(2024日)
正暦5年(993)9月、悲田院で倒れたまひろだったが、回復する。
乙丸より道長に助けられたことを知る。
道長は、疫病対策に空き地に小屋を作って罹患者を収容しようと考えたが、
関白道隆は私財でやれと拒否。
天罰か因果応報か、あるいはカルマの法則なのか、道隆が罹患する。
道隆は安倍晴明に祈祷を命じたが、晴明は寿命と判断。
祈祷は弟子に任せた。
改元し、長徳元年(995)2月となる。
詮子が次の関白に道兼を推すことにする。
定子は兄伊周を「内覧」にしようと画策する。
道隆は道兼に頭を下げる。
道隆は伊周に内覧の宣旨を賜るようお願いするも、
一条天皇は即答を避け、しつこい道隆を下がらせた。
蔵人頭は賢明な判断だと絶賛。
その後、一条天皇は「関白の病の間」と条件をつけ伊周を内覧とする。