徳川慶喜 第11回 台風の目

(1998日)

慶喜の側近だった新三郎が愛人みよと逃げたが、それを手伝ったのが新門辰五郎だった。

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辰五郎は、一橋家を訪ね、慶喜に詫び腹を切ろうとした。

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安政3年(1856)7月21日、ハリスが来航したが、

ハリスは日米和親条約を根拠に領事として日本に滞在するつもりだった。

が、条文解釈の違いだったが、幕府はハリスに押され玉泉寺を仮の宿として用意した。

が、ハリスは8月6日に星条旗を掲げ領事館とした。

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下田奉行井上清直が交渉に当たっていた。

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(目付・岩瀬忠震 勘定奉行川路聖謨

岩瀬も川路も開国に積極的だったが、老中首座の堀田が勅許を理由として慎重だった。

牧野が、ハリスの将軍家定へのお目通りの要求を婚礼の儀が長引くと

理由を付けて引き延ばすことを提案する。

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徳川慶喜 第11回 台風の目

11月、薩摩藩島津斉彬の養女篤姫は家定の正室となった。

正確には近衛忠煕の養女となった時点で篤君と呼ばなければならないそうだ。

が、さすがに主役が違うので、このシーンのみだった。

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