西郷どん, (2018日) の検索結果:
…ペリー来航と阿部正弘の改革 (2)孝明天皇と井伊直弼 (3)薩長連合の成立 (4)大政奉還と新政府の成立 (5)廃藩置県の断行 (6)明治国家と維新三傑 10mTV 落合弘樹 幕末・維新史を学ぶ~英傑たちの決断 ざっと一通りの表の幕末維新史を学ぶ。細部に踏み込まず、陰謀や偽装死には踏み込まず、 教科書的なのでしょう安心してお勧めできる内容でした。 2018年の大河『西郷どん』前の私なら難しくて視聴困難だったのでしょうが、 幸い、軽く復習できたと喜べるまでには成長したようです。
…されたそうだが、 『西郷どん』は意図的に史実から離れようともしていた。 慶喜がヒー様で、愛人が薩摩出身でかつて西郷が助けようとした娘だったなど、 飛んでいたが、町火消「を組」の新門辰五郎の娘のお芳との話なら、 『翔ぶが如く』『徳川慶喜』で登場して有名でもあるので、避けたのでしょう。 主役なので無理して良い人物に仕立てることになったのでしょう。 熱い人情溢れる好人物を演じられていた。 実際は、少年期に斬られて刀を使えなくなった負の感情が基底にあり、 西郷を「陽」の人物としていた…
…次郎、酉三、寅太郎 西郷どん (47)「敬天愛人」(最終回) 明治11年(1878)5月14日、紀尾井坂で暗殺された。 手に持っている紙は、西郷吉之助と少年期に藩内の探検中に斉彬の秘密工場を見つけ、 口止め料としてカステラを貰った時の包んでいた紙だった。 そこに「Cangoxina」と書かれていた。 約40年、斉彬から吉之助、大久保と受け継がれていた。 最後まで読んで頂きありがとうございます。 押して下さると、励みになります。ポチッとお願いします。 ↓ ↓ 人気ブログランキン…
…登場し驚きでした。 「薩摩ことば指導」の田上晃吉さんでした。 泣きっぱなしだったそうです。 最終回前に偶然に「発見」して良かったです。 あさイチ12/10(8時台) 「鈴木亮平 生出演!最終回直前“西郷どん”スペシャル」 あさイチ12/10(9時台) 「おでかけLIVE 正月料理に欠かせない!日本一〇〇産地」 最後まで読んで頂きありがとうございます。 押して下さると、励みになります。お手数、誠に申し訳ございません。 クリック恐悦至極に御座います。 ↓ ↓ 人気ブログランキング
…郎に父は命令した。 西郷どん (46)「西南戦争」 「 旦那さーが、西郷隆盛じゃなかったら、 どんなによかったか。 吉之助さーが、ただのお人じゃったら、 どんなによかったか。」 桂久武に案内を頼み糸は戦場に入った。 こういうのは関係者の日記に記録がなかったからといって、 あり得ないことでもなく、会ったのやもしれません。 もし、そうであるなら、こういう会話がなされたのだと思いますね。 最後まで読んで頂きありがとうございます。 押して下さると、励みになります。お手数、誠に申し訳ご…
…とを悔いたのやもしれません。 「敬天愛人」でしょう。 2月17日に西郷隆盛と菊次郎が出発した。 妹の琴の息子の宗助、宗五郎も出発した。 市来家の兄弟は諸説あるらしい。 西郷どん (45)「西郷立つ」 西郷が立ったと知らせを受けた大久保は自ら鹿児島へ向かおうとするも 岩倉が引き留める。 殺されるのは見えていた。 最後まで読んで頂きありがとうございます。 押して下さると、励みになります。お手数、誠に申し訳ございません。 クリック恐悦至極に御座います。 ↓ ↓ 人気ブログランキング
…並の神経ではない。 西郷どん (44)「士族たちの動乱」 西郷は鹿児島県令の大山綱良に頼み「私学校」を作った。 不平士族の学びの場で、篠原が銃隊学校、村田が砲隊学校を監督。 軍事や漢文を教え、午前9時から12時だったようだ。 吉野開墾社では昼に開墾、夜に勉強だった。 桐野利秋は、西郷に東京で政治を変えて欲しかったが断念した。 3度も説得しようとし失敗し、派手に立ち回って登場した。 「お世話になりもす」 桐野は深々と頭を下げた。 最後まで読んで頂きありがとうございます。 押して…
…協力要請に木戸が怒って退出。 西郷下野後の抑えに木戸を当たらせたかったようだ。 「西郷君はそんな人じゃない」と去る。 隆盛は大久保の別宅に向かった。 最後だった。 西郷どん (43)「さらば、東京」 25日朝、西郷は熊吉と鹿児島に戻る。 11月10日の帰着までどういう経路で2人が戻ったのか気になるところです。 最後まで読んで頂きありがとうございます。 押して下さると、励みになります。お手数、誠に申し訳ございません。 クリック恐悦至極に御座います。 ↓ ↓ 人気ブログランキング
…使節団帰国。長州の、木戸、伊藤、山縣、井上馨が、岩倉に泣きつき、 薩摩の大久保を使って「朝鮮問題」で政府を乗っ取ろうという飲み会。 NHKオンデマンド 西郷どん (42)「両雄激突」 10月14日、岩倉は大久保を参議に戻すが、大久保は既に決まっていた西郷の朝鮮派遣を潰しにかかった。西郷を冷ややかに睨みつけた。 最後まで読んで頂きありがとうございます。 押して下さると、励みになります。お手数、誠に申し訳ございません。 クリック恐悦至極に御座います。 ↓ ↓ 人気ブログランキング
…き抜く際も約束していた100石を5年間与えなかった。 明治5年(1872)6月22日~7月2日、明治天皇の従者として西郷は帰郷した。 山岡鉄舟(西郷の横)は静岡にいたが西郷の勧めで村田新八らと共に宮中に出仕した。 NHKオンデマンド 西郷どん (41)「新しき国へ」 島津久光、洋装した立派な明治天皇に涙した。 最後まで読んで頂きありがとうございます。 押して下さると、励みになります。お手数、誠に申し訳ございません。 クリック恐悦至極に御座います。 ↓ ↓ 人気ブログランキング
…)7月14日、明治政府は、大久保主導で廃藩置県を断行する。 天子様をお守りするという名目で薩長土の御親兵8000を創設し、 倒幕の英雄西郷隆盛が指揮する。 武威と利、天皇命令で従わせた。 NHKオンデマンド 西郷どん (40)「波乱の新政府」 苦々しかったのでしょう。 第12代薩摩藩主 島津忠義(久光の嫡男) 最後まで読んで頂きありがとうございます。 押して下さると、励みになります。お手数、誠に申し訳ございません。 クリック恐悦至極に御座います。 ↓ ↓ 人気ブログランキング
…NHKオンデマンド 西郷どん (39)「父、西郷隆盛」 明治2年(1868)、西郷隆盛の妻 糸は、熊吉と、大島を訪れた。 菊次郎を迎えるためだった。 慣れない鹿児島の家だったが、従道がフランスから帰ってきて、 土産話に、ようやく打ち解けたようだった。 従道は、岩倉と大久保の密命を帯びて西郷を東京政府に連れていく説得を始めるが、 ここに糸や菊次郎の気持ちが絡んでくる。 菊次郎が川村に語ったことにしているので、本当のようにしているが、 9歳の頃のこの会話がドラマだとしても、健気な…
…れた根本的なことを考えたのでしょう。 西郷や大久保にゆかりのある現在の人たちへの取材も含め、 毎週のドラマを少し立体的に理解できるようにした番組なのでしょう。 西郷の肖像を掲げる血縁でない人たちがいたことに驚く。 自分たちの「先祖」と考える。 自分の祖父や曽祖父がお世話になったからという感謝の次元でない、 西郷は望んでいないが神のような存在として畏敬されているのでしょう。 NHKオンデマンド 西郷どんスペシャル 「西郷と大久保 明治に挑んだそれぞれの道」 人気ブログランキング
…NHKオンデマンド 西郷どん (38)「傷だらけの維新」 実家に帰った吉之助だったが、 琴(妹)から叱られ、吉次郎(弟)に戦場に連れていくよう求められる。 出兵する吉次郎。 見送る、妻の園(その)、吉之助、熊吉、川口雪篷 兄の沖永良部島への処分で、失職にもなり、それでも家を守ってきたが、 労苦の割に戦場での功が無いため、35となり、最悪、残された妻子の面倒は兄弟がみてくれると名誉の戦死でもかまわないと選択したのでしょう。 兄弟4人の揃った最後の夏でした。 人気ブログランキング
(2018日) 事実は、慶応4年(1868)3月15日に江戸城総攻撃の予定だった。 その前の9日に吉之助は山岡鉄舟と調整した。 この後、江戸城内で天璋院篤姫と会っていた。驚いた。 13日と14日に勝海舟と交渉。 江戸薩摩藩邸内で、後ろに中村半次郎と川路利良が控えていた。 大河第12作の『勝海舟』では、村田新八が控えていた。 その後、慶喜とも会い、真意を聞いたようだ。驚いた。 NHKオンデマンド 西郷どん (37)「江戸無血開城」
(2018日)西郷以外の桂小五郎、竜馬、勝、岩倉のキャラ説明、 特に、「逃げの小五郎」と「岩倉の構想」が新鮮でした。 ドラマだけでは分からないエピソードと人物の特質は面白いですね。 NHKオンデマンド 西郷どんスペシャル 「いざ革命へ!西郷と4人の男たち」
…方の労力の投入量というのが 分かりませんでした。 文化祭と比較することは間違っており、役者人生を懸ける程の熱量が投下されていることに驚きました。 特に、アドリブを冗談で投入しているのではなく、 そこに自分の全人格を共に演じている相手や撮影現場全てに投げ付ける。 どうなるか分からないリアクションに触れ内面の感情と共鳴し、 予定になかった表情と涙に変換される。 作品が多くの人の生きた結晶であることを確認しました。 NHKオンデマンド 西郷どんスペシャル 鈴木亮平×渡辺謙の120日
…当なのやもしれない。 NHKオンデマンド 西郷どん (36)「慶喜の首」 相国寺で従道がウイリアム・ウイリスによる手術を受けた。 彼は敵味方区別せず救護活動をしたようだ。 ウイリスの手記によると、 「私自身は600名の治療に当たり、他の1,000名の負傷者の処置法については、前線病院の医師達を指導した。負傷者中900名は政府軍の将兵、700名は会津藩兵たちであった。指から上、下肢の切断手術を38回もやった」 だそうだ。 日本赤十字社熊本県支部 日赤発祥の地・熊本 〜連載企画〜
(2018日) 慶応3年(1867)11月15日、京都、近江屋。 中岡慎太郎(29)と坂本龍馬(31) 12月9日、会津と桑名が守っていた御所を、 薩摩・土佐・安芸・尾張・越前の兵が、封鎖する。 8日の朝議で、岩倉が許され、 早速、山内容堂や松平春嶽に対抗している。 NHKオンデマンド 西郷どん (35)「戦の鬼」 大久保から報告を受けた西郷が、 短刀を岩倉に渡すよう、後ろの容堂に聞こえるように言う。
…させ、兵庫開港問題で慶喜から雄藩へ実権を移すべく四候会議が5月に行われたが、先に慶喜に根回しされ失敗となる。 9月、大久保は長州に行き倒幕の挙兵を依頼、藩主は承知する。 これが慶応3年(1867)9月19日で、翌20には芸州広島藩の薩長芸の討幕軍の決定となる。 西郷や大久保は、岩倉に、倒幕の勅を依頼した。 NHKオンデマンド 西郷どん (34)「将軍慶喜」 が、慶応3年10月13日、慶喜は諸侯を集め、14日、大政奉還となった。 竜馬が暗躍したようだ。土佐や芸州が建白書を出す。
…を殺し逃げ、薩摩藩邸で匿われることとなった。 その後、薩摩の船で新婚旅行となり、西郷宅に泊まり、戦中の長州へ向かうこととなったとされる。 が、この間の吉井が竜馬を世話していることはドラマ化されていない。 その頃、パークスがグラバーの紹介で薩摩に来て、藩主忠義と国父久光の接待を受けた。西郷も合ったようだ。後に外務卿となる寺島宗則が通訳を担当したようだ。 パークスは叩き上げの苦労人で中国語に精通し、18年も駐日英国公使を務める。 NHKオンデマンド 西郷どん (33)「糸の誓い」
…日)慶応2年(1866)1月の「薩長同盟」の段階では、 「倒幕」というのは、まだ絵空事で具体的でなかったのでしょう。 この時点では長州再征討で潰すことは「一会桑」を利するだけなので避けたかった。 ドラマの追加1条どころか、正式文書はなく、木戸の龍馬への確認の手紙(1月23日付) のみのようだ。 尺牘(龍馬裏書)宮内庁所蔵資料 薩摩藩士が大量に押しかけ有村俊斎を悪者にして土下座の演出。 原作が小説なので何でもありなのでしょう。 NHKオンデマンド 西郷どん (32)「薩長同盟」
…五郎が激怒したのが実際のようである。 一方、第14代将軍家茂は閏5月11日に名古屋城、16日彦根城、22日に京都に着き孝明天皇と対面している。 NHKオンデマンド 西郷どん (31)「龍馬との約束」 24日に家茂は二条城を発つが、その前に西郷は家老として謁見していた。 18日に佐賀にいたが間に合ったということなのでしょう。 実際の動きは複雑で、原作段階か脚本段階かは分かりませんが、 簡略化のため、海江田信義が西郷からの手紙を独断で止めたことにしたようだ。 かわいそうでしょう。
…を運んだ。岩倉は条約勅許問題で反対の立場に立ち、井伊直弼死後、和宮降下の話をまとめる。 が、攘夷派は京都所司代とも親しい岩倉を佐幕派と見なし、7人の公卿をターゲットとするが、岩倉はその1人となり、文久2年(1862)8月に朝廷を去っていた。 NHKオンデマンド 西郷どん (30)「怪人 岩倉具視」 その岩倉邸には、長州の桂小五郎も立ち寄り、鉢合わせる。 相変わらず、長州は裏切られ禁門の変に至ったという史観を展開しているが、 面の皮の厚さを意図的に演出しているのやもしれません。
…となる。 この辺は創作が多い。 藩主に報告に行くが、参勤交代しろとの幕府の命に、久光は激怒。 文久2年(1862)の「文久の改革」で松平春嶽が政治総裁職となり、 ブレーンの横井小楠の方針及び、久光の提言で参勤交代が3年に1回、 1回100日以内と緩和され、また妻子の帰国も可となっていた。 西郷は久光に叱られると涙を流すこともできた。 いかにもフィクションのようではあるが、 西郷は必要があれば、どんな芝居でもしそうですね。 NHKオンデマンド 西郷どん (29)「三度目の結婚」
…で坂本竜馬と会う。 NHKオンデマンド 西郷どん (28)「勝と龍馬」 長州征伐の総督に徳川慶勝の下、西郷は単身、乗り込む。 税所篤と吉井友実も従うが、彼らは登場しない。 長州側の複雑な内部の動きはカットされている。 長州の藩主としても「禁門の変」の敗北した以上、 3家老の切腹や4参謀の斬首、五卿の追放は当然と考えており、 長州側から請願していた。 戦闘にならずに済ませたが、朝廷と幕府が義勝を呼び出したようだ。 怒る慶喜に西郷は刃を抜いて、去る。 記録に残したのでしょうかね。
…気を読まない会津兵により地獄と化した。 ドラマでは正義の桂小五郎が長州過激派を抑えたのに西郷や慶喜の幕府側が 裏切って先に手を出したかのような演出となっている。 『八重の桜』で父が会津藩国家老の山川大蔵(玉山鉄二)の熱演を思い出させている。 古高俊太郎の自白が、「天皇を拉致する」「京都を放火」とあったのを 幕府側の証拠しかないと否定する説があるようだが、 実際に7月19日に京都で起こったことは、事実その通りのテロ行為だった。 NHKオンデマンド 西郷どん (27)「禁門の変」
…た会議だった。 議題は「長州処分問題」と「横浜閉港問題」だったようだ。 孝明天皇の意思は攘夷だが、横浜の閉港は難しい。 久光と慶喜が衝突し、翌日に中川宮がメンバーを自邸に招いて酒宴とするが、 ここで慶喜が派手に暴論を吐く。 薩摩藩国父の久光、越前の松平春嶽、土佐の山内容堂 宇和島の伊達宗城、会津の松平容保だった。 当然に、徳川の慶喜は他大名らと同格扱いされることは許さない。 京に到着した西郷は慶喜を久光に合わせようと動く。 NHKオンデマンド 西郷どん (26)「西郷、京へ」
…降った西郷信吾らは謹慎を解かれ、戦を前に藩内が固まる。 事件から約1年後の文久3年(1863)7月薩英戦争となる。 英艦隊が引き返したことを西郷は沖永良部島で知る。 この頃、公武合体を天皇を中心とするか幕府を中心とするかと利害が異なる中、 薩摩から調整能力のある西郷が沖永良部から戻されることとなったようだ。 元治元年(1864年)2月に信吾が迎えに来て、島を去る。 川口雪篷がナポレオンを西郷に教え、「革命」を意識させた。 NHKオンデマンド 西郷どん (25)「生かされた命」
…こととなる。大島の妻子と再会するが、 束の間、沖永良部島で牢の中へと処分の変更となる。 薩摩の家老が軽い処分にしていたのを知った久光の意図だった。 久光は、寺田屋事件での処分など京都の治安での働きが認められ、 江戸への勅使に随行することとなった。 「文久の改革」と呼ばれ、慶喜の将軍後見職、春嶽の政治総裁職を実現する。 が、慶喜から相手にされなかった。 沖永良部島の西郷は、川口雪篷というアクの強い書家に弄られ半泣きになる。 NHKオンデマンド 西郷どん (24)「地の果てにて」